allan吉田の雑感少々 ←前の年 次の年→
1969年(昭和44年)


・ブーツ、パンタロン、深夜放送。断絶、ニャロメ、水平思考。赤頭巾ちゃん気をつけて、断絶の時代、天と地と。いいじゃないの幸せならば、いい湯だな、黒ネコのタンゴ。心中天網島、橋のない川、男はつらいよ。ゲバゲバ90分、8時だよ全員集合。理髪450円、婦人靴下164円、コーヒー100円。
・三谷小学校第11回卒業生、卒業文集「大志」より。
・クラスメート(サイン、愛称などいろいろ)・・吉田→ヨッチャン。ヒドイ顔全集・・吉田→豆はかせ。思い出のマンガ、ああ小学生・・この顔は、きみたちが、なまけとてきに、なる顔です。みんな、よく勉強し、よく食べ、よく遊んで、こんなへんな顔にならないようにしましょう。将来の希望・・デザイナー。

・「1968年度名栗川飯ごう炊さん」
 きのうまで、心配された天気はオーケー、三度目の正直である。風も調子がよさそうだ。まきを持ってきて、さあ、たこう。「点火。」いっせいに新聞紙がもえはじめた。しばらくして、まきにもえうつった。ぼくはなみだを流しながら、まきをくべた。まきは、ぼうぼうともえつづけた。ぼくたちのグループは、全ぶで七人。飯盒は三つである。しかし、米がたりなくて、あまりできないのではないかと心配した。でも、そういう場合には、五年生のぶんをへらせばいいと、松本くんと話し合った。ふきだし始めると、むねがどきどきしてきた。「よし、おろそう。」火からおろして十分ぐらいむらした。そして「パンパカパーン」といって、ふたを撮った。うまくできている。次もうまくでていた。次は、-------おかゆだ。あまりおいしそうでなかったので、五年生に食べさせることにした。でも、かわいそうだから、少しわけてあげた。「ジュージュー。」ウィンナーをいため、おかずを作った。「いただきます。」みんなおいしそうに食べている。いくらへんなごはんでも、ここでたべればおいしいのだ。すぐごはんがなくなってしまった。食事のあとかたづけがおわると、自由時間になった。飯盒炊さんで、二番目に楽しいことだ。うらの森へ行ったり、川へはいったり、石をなげたりした。ぼくのおやたくさんあったけれど、あまり食べなかった。遊んでいるほうが楽しいからだ。 ゆ快な事件がひとつあった。中田さんが、川のまん中の岩にのぼり、おりれなくなってしまったのだ。ぼうを伝わっておりてきたが、おかしなことだと思った。名栗川へきて、ズボンをぬらした人は、いっぱいいた。浅賀君、後藤くんなど、女の人もいるらしい。今回の飯盒炊さんは、前回よりもずっと楽しかったように思えた。来年、さ来年と、楽しく、すばらしい飯盒炊さんにしてもらいたい。(文体は 変わらぬものだと 実感す 2020.7/30)

・3月卒業、4月。12才。杉並区立井草中学校に入学、1年C組である。担任は松村先生。社会の先生だったか。毎朝の出席(確認)で「あかいけくん、あさのくん、いいだくん、いしいくん、、」という名調子(?)をみんな覚えてしまったはず。「、、ごとうくん、こんどうくん、ごんどうくん、、」。懐かしい。先生の思い出としては学芸会か何かで中国舞踊(?)をやった時に「青龍刀」の振り方を教わった記憶がある。刀はベニヤを切って作ったと思う。英語の田渕先生。教科書は「CROWN」。いきなりの「Introduction」という発音が「いんとぅっだっくしゅ」みたいで超強力、すぐさま苦手科目になってしまった。うーん、行事等の思い出はなかなか出てこない。今度卒業アルバムを見つけたら加筆しよう。中学時代の友だちのことは3年生のところにまとめて書こう。アルバム、どこにアルバム、、(2021.9.9)



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