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1958年(昭和33年) 〜 どこの誰だか知らないのに実は皆に知られている月光仮面のおじさん 〜

・世の中の情勢。一万円札発行。関門国道トンネル開通。フラフープ。おーい中村君。私は貝になりたい。銭湯入浴料16円、鯛焼8円。

・1才。歩き始めてどこかに連れていってもらっただろうか。善福寺公園?井の頭公園?スクーターには乗せてもらったのだろうか。母の実家(大久保)にも行ったことだろう。もちろんボンネットバスでウィンカー、というか腕がビョンと出るやつ。車掌さんの「願いまーす」という声の記憶はあるがもう少し後のことだろう。どこかに写真あるかなぁ。とにかく当時は写真は貴重品だったのでどこの家でも同じだろうが大事にアルバムに貼っていた。現代は「量」の時代になりセレクトすることすらもキカイ、いやアプリに任せることも、、。生まれる前?から写真を残し、さらに生まれる時の記録もされる家族も多いらしい。お誕生会の日は毎年見直すとそれぞれの年齢に応じた「感想」が聞けるだろうし親たちの思いも伝えられ「追体験」となり絆がより深まることだろう。他の人が作った画面の中での「疑似体験」ばかりでないところで心を揺り動かされる時間をもっと今の子どもたちには増やしてあげてほしいと思う。そういえば自分は誕生会のような記憶がないような、、七五三とか写真があったかな?

・けっこう、、ではなく月光仮面。もちろん記憶は無いが我が家にテレビが来るのはもっとずっと後だと思うので月光仮面を生?で見たことはないけど5才上の兄たちはおそらくチャンバラも含めてやっていたことと思う。なんとか団、というのは当時から男の子の遊びの定番だったので家の境目とかの狭いところに基地とか作っていたのではないか。私が混ぜてもらうのは大分後になる。(2020.7.8)


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