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1971年(昭和46年)

・ジーパン、アーミールック。ヘンシーン、ガンパラナクッチャ、脱サラ、ニア・ミス。ムツゴロウの博物誌。また逢う日まで、わたしの城下町、よこはま・たそがれ、おふくろさん。緋牡丹博徒、小さな恋のメロディ。仮面ライダー。米10Kg1,250円、牛乳28円、理髪690円。
・井草中学校第2学年文集「2ねん」より。
「卒業式」

 卒業式の日が北きた。寒い三月十八日、体育館で行われた。ぼくは、放送係なので、前のほうのはじにいた。在校生は、きちんとならんでいた。卒業生入場、拍手に向かえられ、席につく卒業生。両側には、父母が並んでいた。ほとんどの人が、きれいな着物をきていた。もちろん先生方もりっぱな服装をしていた。生徒達は、みんな緊張していた。もちろんぼくもである。ぼくは、送りのことばというところでギターをひくことになっていたので、よけいに、震えていた。卒業証書授与が始まった。卒業生は、大きく、体育館をひとまわりして、舞台の好著ぅ先生のところへいった。各先生の名前の呼び方は、なんとなく悲しく、なんとなく、卒業生に、おめでとうという気持ちがあふれているようにきこえた。すわっている卒業生の顔は、みんな、この長くて短かった三年間を思い出しているように見えた。笑っている生徒はもちろんいなかった。悲しい顔の中にも、希望というものが見えたような気がした。やがて、卒業証書授与が終わり、祝いのことば、そして、二年生の送辞が始まった。ぼくは、ギターの演奏をやった。緊張のあまり手が震えていたが、まちがわなかったつもりである。あおげば尊としを歌ったときは、みんな悲しそうだった。泣いている人もいた。でもこれからだ。勉強に仕事にがんばってください。卒業生のみなさん。

(卒業式でギターを弾いたことはまったく記憶にない。3年間放送部員で毎週の朝礼や行事の際には「特別待遇」をさせていただいていた。2020.7/31)
・ピンク・フロイド初来日(箱根)。行けなかった。しかしいきさつ等モロモロまったく忘れてしまったが9月にツェッペリンには行けたのだった。(2020.10/8)



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