allan吉田の雑感少々 ←前の日 次の日→

1958年2月15日
・カストロ、キューバ首相となる
1989年2月15日
・ミニカ給油25L。走行4,847km。燃費16.5Km/L。寒いからか。あいかわらずノッキングあり。
1995年2月15日
・シャリオ走行17,162Km。燃費11.4Km/L。1L=121高い。新潟。
1999年2月15日(月)はれ 〜 パソコン話 〜
・便利ソフトのご紹介。「FTPOutBox」。要するにその名のとおりFTPであります。ただしOutでわかるようにアップロード専用なのです。何が便利かというとデスクトップのショートカットアイコンにファイルをドロップすると自動的に接続、アップロード、終了とやってくれるのです。このBOXはFTP先ごとに作れます。とにかく毎日(やりたい)更新とかにはもってこいといえましょう。私はインターネットマガジンの1997年3月号のROMから使っております。シェアウェアですが、ひとつずつ送るのにはこのままで大丈夫のようです。
2001年2月15日
・CDRメディア 750 合計 787 ビックバソコン館 古山 19:33 
2003年2月15日 〜 江戸はやっぱりえーどー?(W師匠(*)、駄作ってすみません・・) 〜
・母親から頼まれて平岩弓枝原作NHKのTVドラマ「御宿(おんやど)かわせみ」というDVDを購入。まったく知識無しだったが私もすっかりはまってしまった。平岩弓枝は母親が昔住んでいたところのそばの代々木八幡の一人娘とのこと。なんか親しみがある気がしたこともあるかも。江戸末期の大川端の宿屋「かわせみ」を中心に巡る、江戸の事件に人間模様をからめたドラマ・・もう20年も前の放送だがキャストが若い若い・・真野響子、小野寺昭、田村高廣、山口崇・・特に「るい」役の真野と「東吾」役の小野寺がすがすがしく、また脇を固める人情味あふれる俳優陣のバランスも非常に良く、今のドラマでは考えられないような豪華なセットでの雨あり船あり視覚効果ありの撮影で1話50分、たっぷりと江戸情緒を楽しめます。演技では真野の江戸弁?の「ま〜ぁ・・」なんてところが、実に危なっかしいのだけれど。あるシーンで番頭さんが「せじでまるめてうわきでこねて・・」と都々逸?か小唄?を鼻歌で歌うところがあり、これは志ん生の落語で聴いた「稽古屋」で出てきたものじゃないくわっ!と江戸つながりの発見があったりして楽しい限り。江戸開府400年・・は昨年か・・地名もたくさん出てくるのでこんどは「江戸東京重ね地図」というCDROMソフトを見ながら楽しもう。DVDは選集なのですが実は200話以上も続いている大河小説とのことを知り、図書館で本も借りてきてしまいました。((*)weml氏のこと。当時からのわたしの師匠!2021.3.16)
2010年2月15日

2011年2月15日

2012年2月15日(水)

・天然水南アルプス 168 maruetsupetit 城山ヒルズ店 清美 14:54
・アーモンド 198 まきばの空 198 雑誌 229 インテゲル 498他 サミット 昂太 1,636 19:40
2013年2月15日(金) 〜「快楽亭ブラックの放送禁止落語大全/洋泉社」を読む 〜
・ブログも楽しいブラック師匠の本。CD付。伏せ字無し、ピー音無し。良くぞ出せました。シャレのわかる(=シャレ、というものがわかる)オトナの方向けの本。

2014年2月15日
・また雪、車埋まってゆり朝乗せられず。週末で助かったが。連続PC作業の土日。epsonは非力すぎる。処分。

2015年2月15日
・ドライブせず。広場に弁当持っていく。タコからむ、チャリダーまだこげない。よく歩いた。実家でアイス屋さん遊び、よく真似する。寺にギター渡す。せんべいもらったが食べず。

2016年2月15日(月)
・雨、傘忘れた。眠い。電話メール多い。高嶋DVだと。昼素材屋、夜おでん。
2018年2月15日 〜 体力を 使い切れよと 鬼コーチ(その先は故障だろうに)〜
・加工食品 1,110 SEIYU
2020年2月15日(土) 〜 NASDACに靴だすな NEWYORK行くぅよぅに(苦) 〜
・「うわさの保護者会」。Doスキル、Don'tスキル。ことば使いに違和感。文法は正しい? 違和感若い。
・「名曲アルバム」。武満徹の小さな空。映像で都電14番の荻窪駅行が映った。懐かしい。小6の頃15円くらい?で乗っていた。
・ハーベストナッツ、ドラヤキツブクリ、ユキホマレナットウ、レーズン、モヤシ、エンブンヒカエメ他 1,358 SEIYU 11:05:22
・イナカオカキ、コクサンキヌ、ムギノメグミ、ワンフローズン、エダマメ、オコノミアゲ他 1,764 okマート 11:24

2021年2月15日(月) 〜 土間のあるあの窓 〜
・口ではあれこれ言いながら 自然につないだその手から 伝わるやさしさ 決して忘れず(いい子だねぇ(←岩合さん風で))
・よーくん、6番の傘と長靴デビュー。その後舞踊アイドルと中国新聞の話。夕方荒天一変青空に。虹が出たそうだが5Fに戻った時にはもう北東の方にほんの少しだけだった。
・ナガネギ、ニンジン、トマト、ショウガ、ユキホマレナットウ、オオバ他 1,631 SEIYU 17:31

2022年2月15日(火) 〜 軍師に場 〜
・アイドルストップから復帰してエンジンが再始動するときの瞬間的電圧低下でオチてしまうようになったドラレコを単3x4でUSB5Vも出力できる充電器で使えるか試してみる。しかし電圧が5V出ていないようで起動できず。しょうがない。当面はモバイルバッテリーで立ち上げよう。消し忘れには注意しないと。でもなんだかいちいち日付もリセットされてしまうし、もうドラレコ本体のバッテリーが寿命なのかもしれない。ここはドラレコ機能のあるデジタルバックミラーが欲しいが今年は車検もあるし、とても買えないのでもう少しの間ごまかして使おう。トランクにセットした12Vペルチェ保冷クーラーBOXの電源も"延長ケーブル"で助手席足元まで持ってきた。運転席から差し込みで手動ONOFF。ここにバッテリーを置いてシガーソケットの替りに"第4(?)の蓄電池"として使うつもりなのだ。夏は扇風機とクーラーBOXの保冷、冬は今のところなんとなくあたたまるUSBブラケットと加湿器を使うのだ。エンジン切った後も。ほんの少しずつだが寒さが緩み始めているような気がする。早くドライブに行きたい。もうヒコーキ(写真)の都合はそんなに重視せずにリフレッシュを目的に、、。
・BSの録画から「激突!」(1971)。スピルバーグ。この頃は「バニシング・ポイント」とかカー・アクションものが流行っていた。これはまさに"煽り運転"なんてもんじゃない激しさ。途中で警察に知らせようにも"証拠がないし、、"という時代。ドラレコの"リア・カメラ"の必要性はこの頃からすでにあったのだが一般向けに発売されたのははるか後でしたね、、。そして今回はじめて電話ボックスのシーンで知ったのだが主人公のお名前は"デビッド・マン"!(やったね!?)
・タマネギ、モヤシ、アジフライ 274 SEIYU 14:23
・電池チェンジャー 110 CnaDo 14:29
2023年2月15日(水) 〜 猪の胃 〜
・旭川の最低気温マイナス21度とは!冷凍庫の中みたいで想像できない。
・あまりに酷い告発映像、八王子の病院で虐待のニュース。どこの病院だ?といやな記憶が蘇る。場所は近いが違う病院だった。"虐待"があったわけではないがその昔、父は"救急搬送"で"八王子の病院"に運ばれたことが2回ある。ひとつは山の中のS病院。たしか6人部屋に入ったがベッドは5つ。入口側のスペースがひとつ空いていてポリバケツが並んでいた。そこに使用済みの注射器か何かだろうかガラス製の"ゴミ"とかをかなり頻繁に運んできてガチャポイガチャポイやられるのでまいった。親父は"となり"で寝ているのに。あとこれはどこでも今でも一般的なのかもしれないが"タオル"が強制的に病院の手配にするしかなく、たしか5,000円近く取られたと思う(週?まさか日ごと?)。診療自体がどうだったのか、母親にまかせっきりにしてしまったことを今更悔やんでも遅いが記憶も記録も残っていない。しかし母は病院側にかけあって(?)以前入院したことのある府中病院へ転院させることに成功し、この酷いところからたしか1週間もたたずにさよならできたと思う。(想像だけだが)まるで戦時中の収容所みたいなところだと思っていた。
・そしてもうひとつはもっと市内の別なS病院。わたしが八王子から通勤していたときだから1983年頃だと思う。はじめはもう大部屋、というかおとなりのベッドとの隙間が1メートルもないようなギッシリ部屋に入った。夜にはその隙間にカラーボックスのような置物(?)を持ってきて上に赤ん坊用の小さいふとんを乗せて母と交代でワタシも付き添って寝た。プライバシーなんか何もなく、少し離れたところのおそらく交通事故か何かで入院されていたご主人に付き添う奥様がいて献身的に介護されていたのだが、そこに"見舞い"に来た上司が「早く良くなれ」とあからさまに口だけの態度で上から目線で言うのが聞こえるわ見えるわで他人様ながら腹立たしかった。(ご主人がトイレ行為をしたいと言ったのに上司はその最中もずっと横にいた)。そしてこれも"システム"なのか、歩行するのには特に問題も無いのにうちの親父もトイレには行かせてもらえず、無理やりオムツでやらされて難儀していた。この大部屋なのに!。親族で付き添いが出来ない人は契約ヘルパーさんに頼むことになるのだがそのヘルパーのおばさんたちは時間ギリギリまで廊下の奥でタバコを吸ってから部屋に来た。大変な仕事だとは思うがこの人たちも話し方と行動の仕方は明らかに違う方向に向いている人たちのように見えて辛かった。
・数日後だと思うが親父は突然違う部屋に移動させられ(てい)た。6人くらいの部屋だが柔道の帯のようなもので"拘束"されていたので驚いた、というよりショックだった。看護婦さんはまあいい意味で"フランク"な方で聞いてみると夜中に点滴もひきちぎって"暴れた"とのこと、、拘束の説明はたしかそれだけだった。実際、一時的な薬のせいかもしれないが私が行ったときにも窓の外でクレーン車が何かを釣り上げている・・という幻想が見えていたらしく、私にも「あれが見えないのか」と真顔で言われたのでまいった。その時は看護婦さんもいっしょにいて「こんな感じなんです」と言われた。この時も母にまかせっきりで病名やら症状の説明やらにまったく参加しなかったので記憶も記録も残っていない。移動した部屋での付き添いの記憶もない、のでまた別な病院に入院したこともあるのかもしれない。新宿の勤めから戻ってバスで病院まで来て21時くらいに"通用口"から暗くなった病室まで入る日々が数週間くらい続いたのではないかと思う。セキュリティがあまいのである意味こちらの都合で動けたのはよかったのだが。毎晩同じスケジュールで病院に来る"知らない人"もいて毎晩無言であいさつしていたような記憶がある。それから母が"付け届け"でお菓子を用意して渡しに行ったのも覚えているがはたして"効果"はどうだったのだろう、、。この頃はコンビニの黎明期で途中の橋のところの店でオニギリとか食べてから病院に向かったような記憶もある。
・そしてこの時もこの状況を打開すべく(?)母親が談判(?)して府中病院へと転院させることができたのだ。府中病院は検査や入院含めて何度もお世話になっているから母親としては頼っていた。この時よりずっと後にたしか"鼻血が止まらない"ということで"救急搬送"をお願いしたことがあり、その時は母が強力にお願いしたに違いないのだがなんと中央高速を走って府中病院まで連れて行ってもらった。幸い入院はしないで戻れるという連絡が来て私は車で府中に迎えに行ったら「もう帰った」と言われて八王子の自宅まで行くも帰ってはおらず、結局また高速に乗って府中病院まで戻ってやっとこさ会えた父母を乗せて帰ったことがある。相当待たせてしまったがまだその時はまだ親父は元気だった。私の運転する軽自動車の助手席で「(お前の運転は)怖い」と言って笑っていた記憶がある。(これは府中病院から退院した時の言葉かもしれない)。
・そして次にまた"救急搬送"された時にはさすがに運も尽きてしまった。これが平成5年。どこかにも書いた記憶があるが家で臥せっていて「外に出たい」と電動補助車(?)に乗りたいと言っていると母から聞いた翌日だった。だから以降それに乗っている人を町で見かけると必ず親父を思い出してしまう。乗せてやりたかった、と後悔しても遅い。車会社勤めうん十年だったから"運転技術"はきっと上手かったに違いないと思う。"八王子の病院"という言葉から思い出した話。
・ハルオンパックスミニ、ライムギ、クロマメセンベイ、ダイコン、ビリカララッキョウ、ショウガ他 1,412 ok 15:08 いかさか
2024年2月15日(木) 〜 サンダルが 〜
・見ると手すりの下にひっかかっており「危ない」と思って確保しようとベランダに出た途端にサンダルは階下に飛んでいってしまった。春一番。
・午後、アレグラを飲んでみたら鼻水が楽になりどうやらようやく復活。まだあちこち筋肉が痛いが体温も36.6と平常に。どうやら春一番に乗った花粉の洗礼を受けたのか。昨日はそんなに風は吹いていなかったような気がするが。未明が一番ひどかった。喉は痛いしだるいしで軽くしたコロナ症状みたいで一瞬あせった。夜中の2時に眠れずで"クーリッシュ"を吸いながら結局4時半まで置きて本を1冊読んでしまった。季節の変わり目にやられた。トシのせいで回復がとにかく遅いのにはまいった。
allan吉田の雑感少々 ←前の日 次の日→