allan吉田の雑感少々 ←前の年 次の年→

1976年(昭和51年)

・オーディオ、公営ギャンブル、毛皮。記憶にございません、ピーナツ、グー。限りなく透明に近いブルー、火宅の人。北の宿から、岸壁の母、およげ!たいやき君。嗚呼!花の応援団、犬神家の一族、キングコング、愛のコリーダ。雲のじゅうたん、太陽にほえろ!、風と雲と虹と。ハガキ20円、封書50円、豆腐80円。

・大学2年。音楽部に高校時代の友人のH君が1年遅れで入ってきた。基本的に同学年でグループを組む形になっていたが後半は彼とも一緒によく遊びよく演奏もしていた。八王子での録音とかが残っている。グループには現在某県のタクシー組合のおえらいさん(失礼!)になられて活躍されているK君もキーボードとして入って来てくれたのでフォーカスの曲などもレパートリーに加わった。クラプトンからの脱却が進み始めたのだがテープが見つからない。録音することに限らず、とにかく余裕がなかった時代だったのかもしれない、、。しかしK君がこの大学に入りクラブに入りグループに入り某飲み屋に入って、、のひょんな流れ(?)がわたしの結婚につながるのである。彼(の行動?)がわたしの人生に大きなキッカケを与えてくれたことには感謝するしかない。こんどご当地ではタクシーに乗りますわ。
・何月だったかは忘れたが20年住んだ杉並区から練馬区に転居、下宿生活をはじめた。4.5畳ひと間、部屋の真ん中に座れば360度ぐるりとカラダの向きを変えるだけという便利な生活であった。風呂無し、トイレも共同という8軒長屋である。毎月お向かいの大家さん宅に家賃2万円を持って行きハンコをもらった。引越荷物はお米屋さんのトラックで棚等、フトンは親父のクルマで運んだと思う。親父がアパートの前まで来たのはその時が最初で最後であった。お袋も部屋に入ったのは数回だけだと思う。アパートには5年くらいいたはずだ。今は建て替えられたが現在でも時々近くを通り"青春時代"を思い出すことがある。
・アルバイトもいろいろやりました。(2021.12.27)



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