allan吉田の雑感少々 ←前の年 次の年→

1960年(昭和35年)

・ダッコちゃん、ハイヒール。所得倍増、交通戦争、インスタント。どくとるマンボウ航海記、敦煌。誰よりも君を愛す、潮来傘、有難や節、アカシヤの雨が止むとき。太陽がいっぱい。ララミー牧場、それは私です、怪傑ハリマオ。映画館入場料200円、カラーテレビ47万、大卒初任給16,000円。
・2月東京地方は流感のため少中学校の学級閉鎖多し。ベビーブームで高校入学難

・3才。観泉寺幼稚園に入園(した、、のではないかと思う)。兄は八幡幼稚園だったが、同じ誕生日のK君に合わせて少し遠いが観泉寺にした(らしい)。朝は三輪車でK君のうちまで行っていた(と思う)。組は覚えている。「ほしぐみ」である。高橋先生、だったと思う。優しい先生だったと思うがほとんど記憶無し。お寺幼稚園なので園長先生はお坊さん、座禅を組んで何かのお経の時間があり、汗かきの私によく先生が背中にタオルを入れてくれていた。幼稚園の記憶で残っているものはおそらく年長ばかりと思うので1962年のところに書こう。いまだ大して変わらずに残っている幼稚園の脇を時々通るがお寺の一区画で広々している。古き杉並区の姿そのものが残っている。近くには酒屋さんだったA君、クリーニング屋さんのMさん、後に小学校で一緒になる外国(ソ連)帰りのM君が住んでいた。

・アメリカのテレビドラマ「ビーバーちゃん」、ネットでは(1959年1月7日 - 1960年1月13日)とあるが、見ていた記憶がある。おもちゃが欲しいので仮病を使ってお見舞いをもらってやがてバレて怒られて、、のような回があった。ビーバーというのは愛称で主役の男の子の本名はウォード・クリーバー(?)だったかな?我が家に「テレビ」が来るのは比較的早かったと思う。父親がテレビの組立販売(?)をしていたからである。まだNHKと日本テレビしかなかった頃ではないか。「電話」が来るのは遅かった。向かいの斉藤さんのお宅のをお借りしていた。借りたら10円を玄関に置いた。 (2021.8.28)



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